端午節の鐘馗:不吉な五月を「福」に変える駆邪の守護神
信仰と儀式

端午節の鐘馗:不吉な五月を「福」に変える駆邪の守護神

端午の節句、すなわち「端午節(たんごせつ)」において、鐘馗は菖蒲や艾と並び、なくてはならない魔除けの象徴である。なぜ端午に鐘馗が必要なのか。「五毒」との対決、そして民衆に愛された「端午鐘馗画」の歴史を辿る。

中国の端午の節句、すなわち「端午節(たんごせつ)」において、鐘馗(しょうき)は菖蒲(しょうぶ)や艾(よもぎ)と並び、なくてはならない魔除けの象徴である。

清代の『燕京歳時記』には、端午の時期になると市場で鐘馗の画像が先を争うように買われる様子が記されており、当時の人々にとって鐘馗がいかに心強い存在であったかが察せられる。今日の正月に門松や注連飾りを準備するように、かつての端午において鐘馗の画像を新調することは、一年の健康と安寧を願う民衆にとって最大の関心事の一つであった。

戴敦邦画『鍾馗図』
戴敦邦画『鍾馗図』

一、不吉なる「毒月」:なぜ端午に魔除けが必要なのか

古代中国において、旧暦の五月は「毒月」、その五日は「悪日(あくじつ)」と呼ばれ、一年で最も忌むべき不吉な月とされていた。

夏至を控えたこの時期は気温と湿度が急上昇し、疫病が蔓延しやすく、毒を持つ害虫(サソリ、ムカデ、ヘビ、ヤモリ、ヒキガエルの「五毒」)が活発に動き出す。科学的な知識が乏しかった時代、人々はこの目に見える脅威と、目に見えぬ「邪気(疫鬼)」の正体を、超自然的な力によるものと信じたのである。

この「最凶の月」を切り抜けるために、人々はあらゆる手段を講じた。その戦術体系の中でも、最強の「切り札」として召喚されたのが、鬼を食らう英雄・鐘馗であった。

二、端午の魔除けシステムと鐘馗

端午の魔除けは、複数の要素が組み合わさった「重層的な防御システム」となっている。その中で鐘馗は、いわば「総司令官」としての役割を担っている。

天中五瑞(てんちゅうごずい)による外周防衛

人々はまず、菖蒲、艾草、大蒜(にんにく)などの香りの強い植物を束ねて門に吊るした。これを「天中五瑞」と呼び、その強い生命力と独特の芳香によって、邪気や害虫が家に入り込むのを防ごうとした。これは現代で言うところの「パッシブな防虫・除菌システム」に近い。

鐘馗画像による中枢鎮圧

これに対し、門扉や家の中に貼られる鐘馗の画像は「アクティブな迎撃システム」である。香草の防壁をすり抜けて侵入しようとする強力な悪鬼や邪霊に対し、鐘馗は自らの剣で直接これを斬り伏せ、駆逐する。

人々は門の鴨居に香草を飾り、その扉に鐘馗の画を貼る。この「二段構え」の防御によって、ようやく一抹の安心を得ることができたのである。

三、五毒の天敵

端午のもう一つの主役が「五毒」である。人々は五毒の図を描いて矢を射たり(五毒を殺す儀礼)、子供の額に雄黄(ゆうおう)酒で虎を象徴する「王」の字を書いたりして、その毒を鎮めようとした。

ここでも鐘馗は圧倒的な威力を発揮する。民間の年画(正月の版画)などでは、鐘馗が宝剣を振るってサソリを切り刻んだり、大蛇を足蹴にしたりする姿が好んで描かれた。鐘馗は単なる神霊ではなく、実体を持った「最凶の害虫駆除の達人」としても、人々の切実な願いに応えたのである。

四、呉道子から現代へ:端午鐘馗画の伝統

唐の玄宗皇帝が呉道子(ごどうし)に命じて描かせたことから始まった鐘馗画の伝統は、時代とともに「より勇ましく、より威厳ある姿」へと磨き上げられていった。

明清時代以降、「端午には鐘馗を(端午掛鐘馗)」という習慣が定着すると、画家たちは端午専用のモチーフを作品に取り入れた。鐘馗の周囲に、幸福を運ぶ「蝙蝠(こうもり)」を描き込み、足元には退治された五毒を配する。不吉なはずの毒月の象徴が、鐘馗というフィルターを通すことで、「邪を払って福を招く」という縁起の良い芸術へと転化したのである。

五、英雄への信頼

中国人が端午に鐘馗を求めたのは、単に伝統的な「手続き」をこなすためだけではない。それは、自分たちの力では抗いがたい疫病や災厄という巨大な闇に対し、自分たちの代わりに最前線で戦ってくれる「人格化された守護者」を必要としたからである。

「鐘馗がいれば、どんな悪いものも家には入れない」——この素朴だが強固な信頼こそが、千年の時を超えて、鐘馗を端午の節句の主人公たらしめているのである。


参考文献:

  1. 富察敦崇『燕京歳時記・天師符』 — 端午の鐘馗画像市場に関する記述
  2. 史玄『旧京遺事』 — 明代宮廷における鐘馗画の下賜制度
  3. 沈括『夢溪筆談・補筆談』
  4. 李時珍『本草綱目・服器・鐘馗』 — 駆邪と防虫の関連
  5. 劉笑芬、鐘文珊『鍾馗神話および文学的形象の分析』、嶺南大学、2009